大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1309号 判決 1966年2月24日
控訴人(被告) 鳴瀬秀円
被控訴人(原告) 高橋形
主文
一、原判決を取り消す。
二、被控訴人の請求を棄却する。
三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
<省略>
理由
被控訴人が左記約束手形一通(本件手形)を現に所持することは控訴人の明らかに争わないところである。
金額 金一〇〇万円
満期 昭和三〇年四月九日
支払地 神戸市
支払場所 自宅
振出地 神戸市
振出日 昭和三〇年三月一〇日
振出人 控訴人
受取人 被控訴人
被控訴人は、本件手形は控訴人が振り出したものであると主張するに対し控訴人は、当時口頭弁論期日において、その振出の事実を否認し、原判決事実摘示のうち、この点に関する控訴人の答弁として記載された部分を、そのように訂正したところ、被控訴人はこれにつき異議を述べた。原判決事実摘示には、控訴人の答弁として、「被告(控訴人)が原告(被控訴人)主張の日に原告に対し本件手形を振り出したことは認める。(被告は最初本件手形の振出を否認したが、昭和三二年一一月二七日の口頭弁論において陳述した準備書面の記載により、被告が本件手形の振出を認めていることが明白である)。」と記載されているのであるが、右準備書面には、控訴人が本件手形を振り出したかどうかの点については何の記載もなく、控訴人の内縁の夫である池中市治郎が本件手形を被控訴人に交付した経緯並びに本件手形が池中に返還されるべきゆえん等抗弁事実が記載されているにとどまるから、右準備書面の陳述によっては、本件手形の振出につき、これを明らかに争わないものとしてせいぜい擬制自白の成立を認めることができるかも知れないけれども、とうてい裁判上の自白がなされたものとはいえないことが明白であり、その他控訴人が原審においてその点につき裁判上の自白をしたことは、記録上うかがうことができない。そうすると、控訴人が当審において右振出の事実を否認したからといって、裁判上の自白を撤回したことにはならず、(擬制自白は裁判上自白と異り、当事者に対する拘束力はない)、従って控訴人は被控訴人の異議にかかわらず、前記否認の主張をなし得るものというべきである。
そこで、控訴人が本件手形を振り出したものであるかどうかにつき判断するわけであるが、甲第一号証(本件手形)の成立に関し、控訴人は原審において、当初その成立は知らない旨の認否をしていたのを改めて後にその成立を認めたものであるところ、当審において再びその認否を訂正し、その成立は否認する。ただし控訴人の記名印及びその名下の印影が控訴人のものであることは認める、と改めたものであり、これに対し被控訴人は当審における右認否の訂正につき異議を述べたので、まずこの点について考察する。書証の成立を認める旨の陳述は、補助事実の自白にあたるものであるところ、補助事実の自白は、主要事実の自白とは異り、裁判所に対し自白の拘束力を有しないことは明らかであるが、自白者に対してはなおその拘束力を有するものと解するのが相当である。従って自白者は、相手方の同意のない以上、その自白が真実に反しかつ錯誤に基づくものであることを主張立証しない限り、任意に自白を撤回することは許されないといわなければならない。控訴人は、当審における各自白の撤回が許されるべき要件事実を主張しないし、また、原審並びに当審における証人池中市治郎(いずれも第一回)の証言、当審における控訴人本人の尋問の結果だけでは、原審における証人池中市治郎(第二回)の証言、右控訴人本人の尋問の結果、及び甲第一号証に押捺された控訴人の記名印並びにその名下の印影が控訴人のものであることに争いのない事実、甲第一号証の認否についての右訂正の経過、その他弁論の全趣旨に照らし、いまだ右要件事実の証明があったものとも認められないから、甲第一号証に関する当審における控訴人は前記認否の訂正は許されないものというべきである。
かようにして甲第一号証の成立につき当事者間に争いがなく、同号証によれば、本件手形は控訴人の意思によって振り出されたものであることが認められる。
ところで、本件手形は、控訴人の内縁の夫である池中市治郎が、昭和三〇年三月初頃他から金員を借り入れるについて神戸市生田区加納町四丁目一番地の六地上、木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟(本件建物。なお、この建物が当時被控訴人の単独所有であったか、被控訴人と池中との共有であったかの点については争いがある。)を担保として債権者に提供したいので、その承諾をして欲しい旨を被控訴人に依頼するにあたり、もし池中の債務不履行のため担保物件たる本件建物が債権者によって処分されたときに生ずる被控訴人に対する池中の弁償債務を担保をするため、池中から被控訴人に差し入れたものであること、しかし池中は、本件建物を担保に他から金借する代りに、同年三月一四日被控訴人から金五〇万円を借り受け、同月三一日に金五五万円にして弁済することを約し、即日、金額金五五万円、満期同年三月三一日とする約束手形一通(甲第五号証)を振り出して被控訴人に交付したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
控訴人は、右のように、本件建物は結局担保に提供されなかったのであるから、前記弁償債務を担保するため被控訴人に交付された本件手形はその目的を失い当然池中に返還されるべきものであると主張するに対し、被控訴人は、本件建物を担保提供のために差し出す代りに、池中に右金五〇万円を貸与したのであるから、特約のない限り、本件手形は当然に右金五〇万円の貸金の担保となるべきものであり、かつ、当時控訴人及び池中は本件手形を被控訴人の池中に対する右貸金五〇万円の担保とすることを承諾し現に、控訴人は電話によって被控訴人の妻高橋はるえに対し、右貸金につきみずから責任を負う旨を述べた事実があると主張するのであるが、担保として差し入れられた本件手形がどの債権を担保するかは要するに当事者の合意によって決せられるべきものであるところ、本件手形は、当初、前記のとおり、池中が本件建物を他の債権者に担保として提供した場合に被控訴人の被ることあるべき損害の賠償義務を担保することを目的として交付されたものであり、当初からそれ以外の債務をも担保する趣旨であったことを認めるにたる証拠はないから、特約もないのに当然に他の債務をも担保するものということはできない。のみならず、原審並びに当審における証人高橋はるえ(原審は第一回、第三回)の証言、原審並びに当審における被控訴人本人の尋問(いずれも第一、二回)の結果だけでは、原審における証人池中市治郎(第一、二回)の証言、当審における控訴人本人の尋問の結果に照らし、いまだ、池中ないし控訴人が本件手形を右貸金五〇万円の担保とすることについて承諾をしたものと認めるに充分でなく、ほかにこれを確認するにたる証拠はない。そして池中が被控訴人に対し本件手形の返還を従来強いて求めなかったとしても、それだけの事実からしては未だ右認定をくつがえすにたらない。
そうすると、本件手形は、その振出の原因たる債務が発生せずして終ったため、被控訴人から返還されるべきものであって、控訴人に支払義務のないことは明らかであるから、被控訴人の本訴請求は、その余の争点につき判断するまでもなく、失当としてこれを棄却すべきものであり、これと異る原判決は不当であるから取消を免れない<省略>。